うそつき?のはじまり
認知症で『ありもしない話』をするときの症状を『作話』と言います。本人の記憶が定かでなくなると、どうして今の状況があるのかが分からなくなり、自分でも納得するためにうそをつきます。今回はグループホームに入居して1年ほどが経過した、70歳代の女性に『作話』がはじまった時のおはなしです。
「私は認知症だ!」と笑って話す
彼女が入居したときは、本当に認知症なのかと思うほど、記憶が保たていていました。体に多少の不自由な部分もありましたが、職員と外出したり家事を共に行っていました。彼女はレビー小体型認知症の認知症なので、記憶が保たれているのだと思います。
入居当時は幻視がありましたが、環境に慣れるとそれもなくなっていました。他の利用者さんの様子を見ても、取り立てて違和感をもらすこともありません。
彼女と買い物をしていた時のことです。他の利用者さんがいないためか、自分もみなさんと同じ認知症なのだと話し始めました。
同じ認知症でも種類が違うので、症状も違います。そうは思ったものの彼女は深刻に話す様子もなく、「私も認知症だからさぁ~」と笑って話していたので、ただ頷いて聞いていました。
なんでもできる・・特別な人
いつしか彼女は職員と同じように、家事をこなしていました。グループホームは共同生活の場です。役割を見つけ張り合いが出ることは、彼女にとっても良いことだと思っていました。ところが・・
彼女は他の利用者さんを、軽視するようになっていました。高齢になると喉が渇きにくくなるため、お茶も一気に飲めなくなります。しかし、彼女はゆっくり飲んでいる、他の利用者さんのお茶を取り上げてしまうのです。
もちろん意地悪ではないと思うのです。彼女が茶碗洗いを終わらせるために、すべての茶碗を集めようとしたのでしょう。
このような事がいくつか重なり、家事を他の利用者さんと分担することになりました。茶碗洗いも出来る方には、毎日ではありませんがお手伝い願いました。彼女の好意に、制約の条件が付いてしまったのです。
一つの制約は、彼女にストレスを与え始めました。買い物も他の利用者さんと交互に行くことになり、自由だったはずの生活の環境が崩れていきます。彼女は「○○へ行きたいねぇ」と他の利用者さんに語り掛けていました。
「連れていきたい」「やってもらいたい」そんな気持ちは、どの職員にもありましたが、彼女だけを特別に扱うことはできなかったのです。
作話のはじまり
作話がではじめたのは、この頃でした。タオル畳みを皆さんで行うことにしていたのですが、職員が気が付いた時には、すでに作業は終わっています。彼女に確認すると「○○さんがやってたよ!」と言います。これは、事実ではありません。
『作話』とは、ありもしない話をすることですが、自分の都合のいいように事実と異なる話をする場合も、起こしてしまった失敗を取りつくろうための話も『作話』になります。
彼女が家事をしたくて、やってしまったのかは、定かではありません。しかし、これ以上の深追いは、彼女を傷つけてしまいます。
レビー小体型の認知症は、状態が『良い時』と『悪い時』があるのです。入居当時が良い状態で、この頃が悪い状態なのかもしれません。
彼女にとっての最善策は何だったのか?
仕事を分担するとき、彼女に配慮して「いろいろ事情があること」を、やんわりと伝えています。他に集中できるような、裁縫・草取り・おりがみ・塗り絵なども薦めています。
しかし、どれも彼女の満足感を満たすものではないのか、集中できていません。今が『悪い状態の時』で、また『良い状態の時』がくるのだと、信じたいです。