こころの鏡を見る
介護士が、利用者さんに嫌われてしまうことがあります。その介護士に心当たりはありませんが、なにかしら原因があるものです。利用者さんの言葉や態度から、考えられる原因を探ってみます。
反りが合わない利用者さん
利用者さんに嫌われるとき
介護の仕事は、接客に近い仕事だと思っています。対象はモノではなくヒトですので、対象であるそのヒトにももちろん感情があるわけです。
多くの人を相手にする中で、反りの合わないヒトは必ずいるものです。
介護者が利用者さんのことを『合わない』と思った場合は、自分で対処の方法を考えられますが、その逆は対処が難しくなります。
原因が分かれば対処のしようもありますが、その原因は自分では分かりにくいものです。
利用者さんを嫌いになるとき
利用者さんに『嫌われている』ということを、自分で感じてしまうと介護者もヒトですから、やはりこころに少し壁が出来てしまいます。
介護士は利用者さんの支援を仕事にしているわけですから、少し壁を感じても乗り超えて行かなくてはなりません。
低い壁ならば乗り超えられますが、その壁が高く厚くなってしまうと乗り越えようとしなくなります。そして、利用者さんのことを嫌いになってしまうのです。
訪問介護の場合
利用者さんの領域に入る
訪問介護で利用者さんのお宅を訪問する場合、介護士は利用者さんの領域に入ることになります。
表現は適切ではありませんが、その段階で上下関係のような見えない格差があるものです。
訪問時「お邪魔します」「失礼します」といった、あいさつで訪問することからも伺えます。
ストレートに表現するなら、「これからあなたのテリトリーに入ります。」をへりくだって、あいさつするわけです。
訪問介護での事例
私の事例で紹介します。利用者さんの年齢は、私とほぼ同年齢で女性でした。交通事故で半身不随となり、高次脳機能障害も併発していました。
まだ小さいお子様がいて、母親として責任の多い時期でした。私にも子供がいましたから、彼女の境遇をなんとか改善したいと思っていのです。
当時は、身体介護で30分や60分の訪問が利用できましたから、私は毎日訪問させていただきました。
ベッドからの起き上がり、ポータブルトイレへの移乗、車いすの自走など、ご自分で出来ることをなんとか増やせないかと、声掛けしたのです。
訪問を断られる
こんな毎日が3ヶ月ほど続いたときです。上司から利用者さん宅への訪問を、同行すると言われました。要するにクレームが入ったのです。
クレームが入ったものの、人員不足でやはり私が訪問しなければならないため、上司が同行して改善点を探ることになったのです。
上司に同行していただき、アドバイスがありました。それは、とても簡単であるはずの『笑顔』だったのです。
上司はこのように説明してくださいました。
「いつもあんな表情でケアしているの?ケアの間一度も笑顔がなかったよ」というものです。
こころへの配慮
同年代で家庭状況が同じだった利用者さんに、「なんとか自立して欲しい」という思い入れが強く、利用者さんの気持ちをないがしろにしていたのです。
利用者さんと私の違いは、障害を負っていたか、いなかったかの違いだと思います。しかし、それは利用者さんにとって、大きな違いであり、ハンディだったというこころの配慮を欠いていたのです。
今思うと、私の声掛けはいつも「頑張って!家族のために」だったと思います。声掛けには、この利用者さんへの『こころのフォロー』がなかったのでしょう。
やる気がなくなっていく利用者さんへ、なお一層ムチ打つのですから私もきっと怖い顔をしていたのです。
自分では気づけない
一生懸命にケアをしていたつもりなので、利用者さんが嫌がり始めていたのは感じていたものの、なぜクレームがくるのか、当時の私には見当もつきませんでした。
そして、アドバイスがあってから、やっと自分の行動に気が付くことが出来ました。到底自分だけでは、気が付くことはなかったでしょう。
この利用者さんとの関係修復には時間がかかりました。相手は嫌がっているのですから、近寄れば近寄るほど嫌がられます。
段々と自分にもストレスが溜りましたが、「私はこの道でプロになりたい」という思いがありましたから、胃を痛めながら訪問したものです。
訪問開始から半年後、この利用者さんは施設入所が決まりました。
最後まで利用者さんからの笑顔をいただけなかったのが、残念です。
施設関係の場合
介護士の領域に入る
現在、私はグループホームに勤務しています。グループホームは施設ではありませんが、介護士のいるところに、利用者さんたちが入居して来きます。
利用者さんにとっては訪問介護とは真逆な状態になるため、そういう意味においては同域と言えます。
利用者さんにとっては、自分の居場所作りが始まるわけです。
施設関係の場合
はじめて入居した方の場合は、ご自宅での環境とは全く違う環境になり、困惑することも多いでしょう。
こういった場所では、個人のペースをうたい文句にしながらも、やはり集団生活ですので、決まった時間の行動を強制されます。
グループホームの事例
グループホームは自立できる状態の方が、認知症を患いながらも集団生活を営む場所です。
しかし、グループホームの開設がスタートして10年以上も経過した今は、重度の認知症の方の受け入れも検討され、自立が難しい方も多いのです。
そんな中に、要介護1の女性で70歳代の方が入居してきました。要介護1ですと、自立に近い状態ですので認知症を患っていても、概ね自分のことは行えます。
判断力も維持されていて、観察力もあります。
介護士への不満
この利用者さんが、入居して半年ほどたったころです。ある介護士への不満を訴えるようになりました。
「仕事が遅い」「いちいち上司へ報告する」など、他にも利用者さんの介助を見て「無理やり食事を突っ込む」などなど、切りがないほどです。
私たち介護士たちの間で、特別変わったケアをしているとは思えませんが、その特定の介護士にだけ、矛先が向けられます。
日に日に関係が悪化するのが分かります。
その介護士はストレスを抱えながらも、「仕事ですから大丈夫です」とはなしていましたが、徐々に敵対していくようになりました。
こころへの配慮
こんな時、この利用者さんが言った言葉は「人のこと馬鹿にして」「どうせ私は頭おかしいんだから」と怒っていました。
この言葉に含まれるこころの動きを考えたとき、この利用者さんは日々介護される重度の認知症の利用者さんのケアを見て、「自分たちを馬鹿にしている」と感じていたのかもしれません。
そう考えると、「配慮が足りないケアをしていた」と反省してしまいます。
アドバイスの遅れは、自分を振り返れない
配慮の不足をこの介護士にアドバイスしました。しかし、自分は適切に配慮していると言っていました。「自分は悪くない」と感じているのでしょう。
もうこの状態では、自分を振り返るのは無理なのでしょう。上長は移動を決めています。
残念なのはこの苦境を乗り越えて欲しかったということです。乗り越えてこそ見えてくるものがあると思うのですが、修復が難しい場合は離れるのも方法の一つです。
まとめ
この介護士は「笑顔で対応した」と話していましたが、私が見るにその笑顔は一瞬のことのように見えました。
この介護士も仕事であることを十分理解していますから、笑顔で対応しているつもりなのだと思います。
しかし、利用者さんは敏感なのです。その作り笑いは見破られているのだと思うのです。
利用者さんもヒトなら、介護士もヒトです。たいへん難しい問題ですが、感情をコントロールできたなら、『介護のプロとなれる』と思わずにはいられない問題です。